CESA:一般社団法人コンピュータエンターテインメント協会

  • MENU
  • 会員専用ページ
  • ENGLISH

研究者インタビュー

ゲーム研究者インタビュー

茂木健一郎先生インタビュー【第3回】

テレビゲームへの正しい理解を~ゲーム研究者インタビュー

茂木健一郎先生インタビュー

写真

茂木健一郎(もぎ・けんいちろう)

脳科学者/株式会社ソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー/東京工業大学大学院連携教授

脳科学者。専門は脳科学、認知科学。株式会社ソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー、東京工業大学大学院連携教授(脳科学、認知科学) 1962年10月20日東京生まれ。東京大学理学部、法学部卒業後、東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。理化学研究所、ケンブリッジ大学を経て現職。『脳とクオリア』(日経サイエンス社)、『生きて死ぬ私』(徳間書店)、『心を生みだす脳のシステム』(NHK出版)、『意識とはなにか--<私>を生成する脳』(ちくま新書)、『脳内現象』(NHK出版)、『脳と仮想』(新潮社)、『脳と創造性』(PHP研究所)など著書多数。「クオリア(感覚の持つ質感)」をキーワードとして脳と心の関係を研究。『脳と仮想』で第四回小林秀雄賞を受賞。2006年1月より、NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』キャスター。

第3回ゲームの楽しみが勉強の楽しみへとつながっていく

2009年8月10日掲載

ゲームの語られ方自体が変わらなくではいけない

――ところで、「クオリア」についてわかりやすく教えていただけませんか?

茂木:「クオリア」って説明が必要なもののように思われていますけれど、ごく当たり前のことなんですよ。意識のなかでいろんな質感を感じているじゃないですか、「赤」とか「黄色」とか「水が冷たい」とか。それが「クオリア」なんです。

でも、それを脳科学的にどう説明するかがとてつもなく難しい問題なんです。アインシュタインやニュートンのやったことと同じくらいのことをやらないと、「クオリア」は解けない。謎を解こうと思って世界中の人とがんばっているんですけれど、それでもわからない。だからこそチャレンジし甲斐があるんです。なかなか一般の人にはわからないかもしれないですけれど、とてつもなく難しくてやりがいがある。しかも「人間とはなにか」とか「なんで我々はここにいるんだろう」とか「心をどうして持っているんだろう」とか、そういう本質と関わる問題なんですね。

――ゲームのなかの「クオリア」とは?

茂木:「ゲームをプレイしたときの味」みたいなものは「クオリア」ですね。たとえば「ICO」というゲームのなかでは「黒い煙みたいなオバケ」が出てくるんですけれど、あの"なんともいえない感じ"は「クオリア」。それに、ゲームのある種の味わいは「クオリア」によって作られている。少なくとも、人気のあるゲームは「クオリア」ですね。

――「(茂木先生が以前監修されたゲームもある)アハ体験」について教えてください。

茂木:たとえば「ニュートンがリンゴの木を見て万有引力を発見した」ような、要するに創造性やひらめき、気づきのことです。科学者やクリエイターの存在意義は、どれだけその「ひらめき」を持っているかということなんです。

たとえば、「ある惑星のうえに周囲10メートルの牧場があって、そのなかに牛が1万頭いる。どういうことですか」って聞かれたらなんと答えますか? 「積み上げられている」とか「牛が小さい」とかいう答えだと、あんまり"アハ感"がないですよね。答えは、「"10メートルの円内"ではなくて、"残り全部が牧場だ"」ということです。そう考えると、"アハ感"がありますね。

その「あ、そうか」が起こったとき、神経細胞が0.1秒間だけ活動するんです。それが「アハ体験」です。だけどそれが起こるまではわからない。一生懸命考えて苦しいわけです。そのメカニズムを解明することは、人間の脳の創造性を解明する方法でもあるんです。ですからアハ体験のメカニズムを解明することで、人間のことを総合的に考えるコンピュータができる。クリエイティヴに生きるっていうのはいいことじゃないですか。コンピュータゲームを最初に作った人たちもクリエイティヴだったし、インターネットを最初に作った人たちもクリエイティヴだったし、検索エンジンを最初に作った人たちもクリエイティヴだったので。やっぱり創造的に生きる方が楽しい。

――そんななか、「今後のゲームのあり方」とは?

茂木:「ゲームの語られ方」自体が変わらなくてはいけない。もう少し、「『ハイカルチャー』と結びつけて戦略をとった方がいい」と思いますね。サブカルにはサブカルのよさがあるのだけれど、そうではない見せ方をする工夫をした方がいいと思うんです。

インターネットの匿名掲示板がまずいものとして社会的に認知されていますけれど、それとひとつながりのものとしてゲームの一部が認知されているところがあるので、そこがもったいないかなあと感じます。もっと素晴らしいものがあるに違いないと、僕は思っていますけれどね。あとは、「人と人をどうつなげるか」っていうことくらいですかね。

――ゲームは人をつなげますか?

茂木:見ていると、ゲームって子ども同士を結びつけていますよ。よく見る光景ですよ。それにお爺ちゃんお婆ちゃんがゲームをやって、孫と共通の話題が生まれたり、世代を越えて人をつなげるきっかけにもなりますよね。すごくいい光景ですよ。

――では逆に、注意すべき点は?

茂木:あくまでも「生活のすべてではない」っていうことです。ゲームってあまりにもおもしろいから、最初はハマると思うんです。でもそのうち落ち着いてくるだろうし、逆に大人とか社会の側がバランスよくゲームを生活のなかに位置づけることが大切ですね。土日にRPGをどうしても解きたくて、24時間やっちゃったような経験は僕にもありますから(笑)。でも、その後反省しますよね。

――「ゲーム以外の喜びも教えてあげることが大切」ということでしょうか?

茂木:そうですね。いくらゲームを作っている人たちだって、「生きる喜びはゲームだけです」とはいわないと思うんです。「人と触れ合う喜び」とか、「自然と触れ合う喜び」とか、いろんな喜びがあるのは当然で、ゲームはそのなかのひとつなんですよね。

――特別なものではないと。

茂木:ゲームにはふたつの意味があるんです。ひとつは、「インタラクティヴなメディアに対する感性や知識を育む土壌になる」ということ。もうひとつは、「ゲームの楽しみが勉強などの楽しみを広げていくことにつながる」ということ。そこをうまく広げていけば、見方も変わってくると思いますね。