CESA:一般社団法人コンピュータエンターテインメント協会

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ゲーム産業の系譜

瀧 栄治郎

瀧 栄治郎【第4回】

1970-2000年代

伝説の「THE LINKS」― 世界初のネットワークゲームに賭けた夢

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瀧 栄治郎(Eijiro Taki)

日本テレネット株式会社 代表取締役会長

1942年、京都生まれ。1966年、同志社大学経済学部卒業、株式会社太洋堂入社。印刷業経営の一環として、1975年に同社企画部門を分社化して株式会社デコスを、1978年にビデオ制作会社の株式会社ヴィオスを設立。1985年11月には日本テレネット株式会社を設立、代表取締役社長に就任し、MSXによる画像パソコン通信の開発運営などコンピュータネットワークサービス事業に進出する。その後もFaxネットワークサービス、アウトソーシング、コンテンツ制作など幅広く事業を展開する一方、2000年にスローネット株式会社(シニア向け情報交流サイト運営)および株式会社ビットマザー(携帯Webコンテンツ制作・運用/松下通信工業株式会社(現パナソニック モバイルコミュニケーションズ株式会社)との共同出資)、2010年にエコリンクス株式会社(太陽光発電設計士教育)、2015年にイメージナビ株式会社(デジタル素材販売・Web制作・開発)を設立し、さらなる事業の多角化を積極的に進めている。2015年、地元・古川町商店街の活性化事業への貢献により、株式会社デコス代表取締役社長として京都府産業功労者賞を受賞。

第4回ベンチャー都市・京都から見つめるネットワークゲームの未来

2018年5月18日掲載

私たちが情熱を注いだMSX専用パソコン通信「THE LINKS」は、1994(平成6)年10月31日、無念にもサービス終了となりました。しかし一方で、企業向けに始めたFAXネットワークサービス「L-net」が好調で、ありがたいことに生命保険会社や住宅メーカーなどのFAX情報誌の配信業務に忙殺されました。さらに、FAX配信で培ったコンテンツ制作業務を別個に事業化し、また、経理支援やコールセンター運営など、企業向けアウトソーシングサービスも始めました。いずれの事業も順調に成長し、当社の経営は、ようやく軌道に乗せることができました。

これまでずっとTHE LINKSのような「一般消費者向けのサービス(BtoC)」を作っていてうまくいかなかったのに、「企業間取引(BtoB)」に転換した途端にすんなり成功したように見えるかもしれません。確かにBtoBは一般的に単価も高く、いったん取引が始まると手堅い長期取引が期待できます。マーケティングの面でも、商材により取引先が限定されるため比較的容易に把握することが可能です。これに対してBtoCの場合は、消費者は個性も購買意欲もバラバラで、嗜好を的確に捉えるのが難しい面があるでしょう。実際、THE LINKSの顧客は一般消費者の中でもひときわ個性的と申しますか(笑)、会員は概して年齢も若く、先鋭的で感性豊かでしたので、毎日がとても刺激的でした。しかし同時に、みなコンピュータリテラシーがきわめて高く、順応力・適応力も高い人たちでしたので、私たちもいろいろな新しい試みを試すことができました。もともと私は、マーケティングのフィードバック回路としての機能をネットワークに期待していたものですから、会員からの無理難題はむしろ望むところでした。その過程で当社も鍛えられ、BtoBビジネスに転じても最初から対応することができたのではないかと感じています。

また、京都には、「意欲に溢れたベンチャー企業に対する支援が厚い」という風土があるように思います。若い人たちが経営するIT系ベンチャーも多いですし、株式会社島津製作所、株式会社堀場製作所、株式会社村田製作所、日本電産株式会社といった京都を代表する大企業も、かつてはベンチャー企業として、京都の経済界から厚く支援を受けて成長しました。任天堂株式会社や、京セラ株式会社など個性的な企業が数多く存在するのも頷けるところです。京都銀行をはじめとする地元の金融機関もとても協力的です。そのおかげで、当社も会社を立ち上げることができましたし、どんどん新しい事業に取り組むこともできました。

そんな京都について、東京との違いを一言申し上げたいと思います。私は仕事上、東京と京都を行ったり来たりしているので実感するのですが、東京はたしかにトレンドのキャッチアップは速いと思います。それは間違いないですね。しかし、すぐすり減ってしまう感覚もあり、消耗度がすごいと感じます。これに対して京都はモノも技術も情報も、そして人もじっくり集積していくと言いますか、「蓄積していく時間の流れ」があるんですね。それに加えて、大学など学術・研究機関が多く、産学の協同体制も整っていて技術系の人材が豊富です。そのおかげで、おのずと優れた企業が京都に集積してきたんじゃないでしょうか。

そういえば、京都には「寺社仏閣が多い」こともあって、頻繁にお寺や神社に詣でる経営者の方がとても多いと伺っております。私は毎月、上賀茂神社(賀茂別雷神社)と、嵐山の虚空蔵さん(法輪寺)にお参りしています。いずれも電気の神様を祀っていて、京都の電気関連産業の会社関係者はよく訪れていますよ。経営者になりたての若い時分は、生活を改めるために毎朝通った時期もありました。まあ、「信仰心が厚い」というよりは、「厳しい会社経営を乗り切るための精神的な拠りどころとして、身近にある寺社仏閣にそれを求めた」ということなんだろうと思います。

THE LINKSのサービス終了後、ネットワークサービスの環境は本当に激変しました。特に、「Windows95の登場」と「インターネットの普及」により、すっかり時代が変わった感があります。ウェブブラウザという汎用のプラットフォーム概念が一般化し、もはや「MSX専用パソコン通信」というような単一のプラットフォームで囲い込むことができない時代になりました。ブロードバンド化が劇的に進んで通信がぐっと高速となり、通信料金も格段に安くなりました。データ転送技術も飛躍的に進歩し、接続のストレスなどというものは今やほとんどありません。

もうひとつ、THE LINKSの当時、まったく予想していなかったのは、「デバイスのポータビリティー化」です。ラップトップパソコンが出てきたときも驚きましたが、携帯電話でパケット通信を行えるようになり、iモードサービスが始まったときはさらに衝撃的でした。今までずっと有線の通信回線でいかに効率よく繋げるかで四苦八苦してきた身からすれば隔世の感があります。携帯電話に関しては、テンキーだけですべての入力操作を行うことも、かなり革命的でした。個人的にはキーボード入力のほうが扱いやすいはずだと思うんですが、それでも、サービスが魅力的であれば使い手がきちんと使いこなしてしまうんですね。さらに10年くらい経つと、今度はスマートフォンが登場します。私なんかの感覚でいうと、接触面が液晶パネルというのは物理的に使いにくいと思ってしまい、これをサービスとして採り入れるのは躊躇するんですが、やはりユーザーはすぐタッチパネルの方式に慣れてしまいました。人間の学習能力というか、リテラシーの高さというのには本当に感心しますね。

しかし感心してばかりもいられません。私たちの「ネットワーク」「遊コミュニケーション」という創業からのコンセプトは、新しい技術に対しても変わらず貫いていきます。当社のパソコン通信サービスの「Super Links」は、1997(平成9)年にはインターネットに移行させました。また、高齢化社会を見据えて、2000(平成12)年7月に「スローネット株式会社」を設立し、シニア世代のライフサポートを目的としたコミュニケーションサイト「Slownet」を開設して運営を開始しました。また、松下通信工業株式会社(現パナソニック モバイルコミュニケーションズ株式会社)との共同出資で、2000(平成12)年11月に「株式会社ビットマザー」を設立し、携帯ウェブコンテンツの制作・運用事業を始めました。そして、iモード向けに、パチンコをモチーフとしたコミュニケーションゲーム「ラブラブパーラー」を自社開発し、翌2001(平成13)年よりiモード公式コンテンツとして運営を行いました。iモードはサービスを終了しましたが、ビットマザーは引き続き、スマートフォンも含めたウェブコンテンツ制作のマルチデバイス対応を進めています。

この先のネットワークサービスがどのように進化するかについてですが、やはり、「AI(Artificial Intelligence:人工知能)」の要素は必須だと思いますね。たとえば、ユーザーの分身(「カスタマーエージェント」)が、AI機能によっていろいろなミッションを代行するというようなことを想像しています。実は、1999(平成11)年頃、「999プロジェクト」と題して、カスタマーエージェントソフトの開発を行っていた時期があるんです。ニューラルネットワーク(注1)の考え方を採り入れた行動予測エンジンを開発して、キャラクターにその行動をさせたり、キャラクター同士がネットワークでコミュニケーションをとるというようなサービスを企画しました。しかし...やはり時代が早すぎましたね(苦笑)。

私たちの取り組みはだいたいが早すぎて、環境が整ってきたときには、すでに燃え尽きてしまっている場合が多いです(笑)。しかし、私たちが思い描いていたネットワークの未来は、自分たちでは成し遂げられなかったけれども、のちに世の中が実現してくれました。

いま、THE LINKSの時代を振り返ってみますと、若い社員たちが目を輝かせながらアイディアを出し合い、いきいきと仕事をしている姿を思い出します。みんなとにかくコンピュータが好きで、ゲームが好きで、新しいものが大好きでした。

人の縁にも恵まれました。私がゲーム業界に携わるきっかけを与えてくれたカプコンの辻本憲三さん、アイレムのスコット津村さん。次世代コンピュータゲームの研究開発というビッグプロジェクトを任せてくれたナナオの高嶋哲さんと、偉大なプロジェクトメンバーの西和彦さん、ビル・ゲイツ氏、槌屋治紀先生。また、シャープの佐々木正さんをはじめ、朝日新聞論説委員の川島正英さんや、社団法人日本パーソナルコンピュータソフトウェア協会(通称「パソ協/JPSA」。現在は「一般社団法人コンピュータソフトウェア協会(CSAJ)」)の清水洋三元専務理事といった、ソフトバンクの孫正義さんの恩人とされる方々にもお世話になりました。パソ協の清水さんを通じて、THE LINKSでは数多くのゲームソフトメーカーのみなさんからタイトルの提供を受けることができました。朝日新聞の川島さんには、Slownetのサービス運営にあたっていろいろとご協力いただきました。

今回のインタビュー取材のお話があり、思いがけずTHE LINKSを振り返る機会をいただきました。懐かしさのあまり、思わず当時のユーザーズマニュアルを復刻してみました(もともと印刷業ですのでお手のものなんです・笑)。

THE LINKSユーザーズマニュアル表紙
THE LINKSユーザーズマニュアル表紙

サービスメニューの画像がありますが、今とあんまり変わらないでしょう。現在、コンピュータやインターネットの世界で活躍している方々の中には、私たちのTHE LINKSの会員だったという方も何人もいらっしゃいます。手前味噌ながら、THE LINKSの先進的な取り組みの数々は、「コンピュータ黎明期における種蒔きの役割を少しは果たせたのかな?」と思っています。

当社は2020(平成32)年に創立35周年を迎えます。記念事業として「THE LINKを復活させてみようか?」という欲がむくむくと出てきました。問題は収益構造なんですが...どなたさまか、スポンサーになっていただけませんか?(笑)

注1:ニューラルネットワーク
人間の脳内にある神経細胞(ニューロン)とそのつながり(神経回路網)を数式モデルで表現したもの。