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研究者インタビュー

ゲーム研究者インタビュー

馬場 章教授インタビュー【第1回】

テレビゲームへの正しい理解を~ゲーム研究者インタビュー

馬場 章教授インタビュー

写真

馬場 章(ばば・あきら)

東京大学大学院情報学環教授/日本デジタルゲーム学会会長

1958年茨城県生まれ。東京大学大学院情報学環教授。1988年早稲田大学大学院文学研究科 博士課程単位取得退学。東京大学史料編纂所助手、助教授、同大学院情報学環助教授を経て、2005年より現職。史料編纂所において専門の近世経済史の研究に加え、歴史史料のデジタルアーカイブ化に関する研究に取り組む。大学院情報学環では、ゲームを中心とするデジタルコンテンツの研究に従事。2006年、日本デジタルゲーム学会(DiGRA JAPAN)の初代会長に就任。2007年にはデジタルゲームの国際学術会議「DiGRA2007」の大会組織委員長を務め、ゲーム研究の普及拡大に貢献している。近著に『上野彦馬歴史写真集成』(渡辺出版)など。

馬場研究室 http://chi.iii.u-tokyo.ac.jp/
日本デジタルゲーム学会 http://www.digrajapan.org/

第1回ゲームには大きな魅力と可能性がある

2008年2月12日掲載

ゲームには最先端技術が搭載されている?

――馬場教授はもともと日本近世経済史を研究しておられました。現在、デジタルゲーム研究の第一人者として、さまざまな取り組みをなさっています。ゲーム研究を始めたきっかけは何だったのでしょうか。

馬場:10数年前になるでしょうか。古文書だけでなく、絵画や地図などを歴史学の対象にしていこうという動きが出てきました。東京大学で、その仕事を担当したのが私です。単に作品そのものを見るだけでなく、デジタル化して使いやすくしようという方向に進み、古い史料をデジタル技術を使って復元する、あるいは史料のデータベースを作り始めるようになりました。

あるとき、室町時代の絵画を撮影したガラス乾板(※1)の破片を復元することになり、破片1枚1枚をデジタル化して、データ上で複合しました。しかし、原本の絵は焼けてしまっていて、色がわからない。しかも、ガラス乾板はモノクロ。そこで、室町時代の顔料の色を示すRGB値(※2)と、乾板のモノクロの濃度を比べて、統計学的に一番可能性の高い色を落としこんでいきました。そうすると、すごく鮮やかな色が現れた。でも、物足りない。絵自体はすごく躍動的に描かれているけど、やはり絵画は静止している。それを動かしてみたいと思って、コンピュータグラフィックス(CG)に注目したのです。馬に乗った武士が鹿を狩っている場面の動きを、CGを使って復元する作業をやりました。しかし、まだ不満が残る。自分たちでつくりこまないと思ったように動かないんですね。

インタラクティブに動く仕組みはないだろうか。調べると、インタラクティブに絵を動かしていくという分野では、デジタルゲームが一番先端的な技術を持っているということがわかったんです。それがゲームの世界に関わる発端でした。

――ゲーム研究を始められて、お気づきになったことは。

馬場:まずゲームテクノロジーというものが正当に評価されていないと感じました。今、任天堂のWiiが大人気です。リモコンを使った新しいタイプのゲームですが、あの中にはさまざまな最先端の技術が詰まっています。また、少し前ですと、プレイステーション2(PS2)をきっかけにDVDが家庭に普及しました。ここにも最先端の技術が使われていたのです。

つまり、家庭の中に最先端の技術が入っていく一番初めのきっかけはゲームであることが多い。私たちはゲームを通して、最先端の技術に触れているのです。にもかかわらず、ゲームが持っている先進的な技術に対する評価が低いことを痛感しました。そもそも、ゲームに最先端の技術が搭載されていること自体があまり知られていないのです。

日本人はゲームの長所に気づいていない?

――日本と海外で、ゲームに対する意識の違いはありますか。

馬場:海外に比べ、ゲームを含めたエンターテインメントに対する日本人の認識の低さを感じています。日本のゲーム産業は、世界中でプレイされている優れたゲームソフトを生みだしています。日本のゲーム産業が世界全体のゲーム産業やゲーム史上に占める位置は非常に重要であるにもかかわらず、日本人はゲームを軽んじているところがあります。

日本でデジタルゲーム研究をもっとさかんにしたいと、2006年4月に「日本デジタルゲーム学会(略称:DiGRA JAPAN)」を設立しました。2007年9月にはDiGRA JAPANが母体となった組織委員会が、DiGRA2007という国際会議を東京大学で開催しました。日本で国際会議をやると、参加者の8割くらいが日本人で2割が海外からの参加者というのが普通なのですが、DiGRA2007は反対で、8割が海外の方でした。

特別セッションとして、ファミコンを開発された上村雅之さんと「パックマン」の生みの親である岩谷徹さんのお二人に対談していただきましたが、これには大げさでも何でもなく、海外の若いゲーム研究者が泣いていました。「この二人に会えただけで、日本に来てよかった」と。セッション終了後もお二人の控え室の外にはサインを求める人たちが長い行列を作っており、時間を理由に私が遮ったほどでした。実は日本のゲーム開発者は海外からは非常に尊敬されているのです。

ゲームの特質を知った上での上手なつきあい方は?

――日本がゲームの開発力で海外から大きく注目されながらも、日本人はそのすごさにあまり気づいていない。また、子どもも大人もゲームで楽しんでいるのに、どこかで否定的に捉えているところがありますね。

馬場:以前ほど「ゲーム脳」という言葉は聞かなくなりましたけれど、その影響はまだ残っています。特に教育の現場、つまり家庭と学校ですね。でも、私に言わせれば、「ゲーム脳」というのはとんでもない話です。

運動生理学者の森昭雄氏が初めておっしゃったわけですが、もともと根拠となっているのは森氏が開発された脳波測定器によるデータです。科学的な実験はほかの研究者が追実験をやって、同じ結果が出てこなければいけないのですが、そもそもその追実験ができないのですから、科学的に見て方法上の誤りがあります。

また、一定時間ゲームをしたプレイヤーの脳波の波形が認知症の老人の波形によく似ている。だから、ゲームは危険だというのですが、それは単に類似性を指摘したにすぎません。ゲームと脳波の形の因果関係を証明するのが学問としての真髄ですが、「似ているから危ない」というだけでは論理の飛躍があると思います。

それから、ネーミングの誤りがあります。「ゲーム脳」というのは印象に残る、上手なネーミングのように思いますが、英語で「ゲーム・ブレイン」というと、欧米の研究者はだいたい「ゲームプレイによって、発達した脳」と解釈します。それがゲームという英語が持つ正の価値の語感を理解した学問上の通常のネーミングのルールです。ところが「脳の働きが不活性化する」という意味でつけられてしまった。科学的な証明がされていないにもかかわらず、「ゲーム脳」という言葉が一人歩きしてしまって、漠然とした不安を保護者や教育者に与えているというのが真相だろうと思います。

――ゲームとよい関係を築いていくにはどうすればよいのでしょうか。

馬場:確かにゲームにはマイナスの側面もあります。モニターをのぞき続ければ、視力に影響を与えることは間違いありません。また、ゲームと勉強を二項対立に捉えれば、ゲームをする時間が増えると、勉強する時間は減るわけですから、勉強をしなくなるという弊害もあるかもしれません。そういったゲームのマイナス面をなんらかの方法で克服していくことは必要です。しかし一方で、ゲームのよいところを引き出して、積極的に使っていくことも必要です。

ゲームの悪い側面とよい側面をきちんと科学的に解明し理解したうえで、「自分はゲームとこういう風につきあおう」という上手な使いこなし方、私はこれをゲームリテラシーと呼んでいますが、そういうリテラシーをプレイヤー自身が身につけていくことが大切だと思います。

最初に言いましたように、ゲームには最先端の科学技術が搭載されているという事実を考えれば、ゲームから目をそらすことは大げさに言うと、人類の進歩を阻害することになると思います。

私は、ゲームは人の心を豊かにするものだと考えています。ゲームが持っている特質、あるいはエンターテインメントの重要性を、研究を通じて世間にもっと訴えていかなければならないと思っています。

(※1)アナログ写真の感光材の一つ。ガラス板に光に感光する乳剤を塗布したもので、フィルム登場以前、一般的に用いられていた。
(※2)ある色を光の三原色(赤=Red、緑=Green、青=Blue)によって再現する場合の三原色の割合を示す数値。