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研究者インタビュー

ゲーム研究者インタビュー

香山 リカ教授インタビュー【第1回】

テレビゲームへの正しい理解を~ゲーム研究者インタビュー

香山 リカ教授インタビュー

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香山 リカ(かやま・りか)

精神科医/立教大学現代心理学部映像身体学科教授

1960年7月1日北海道札幌市生まれ。東京医科大学卒。精神科医・立教大学現代心理学部映像身体学科教授。専門は精神病理学。学生時代より雑誌等に寄稿して活躍。大学卒業後は精神科医としての臨床経験を生かしつつ、現代人の"心の病"についてあらゆるメディアで社会批評、文化批評、書評など幅広く展開している。テレビゲームなどのサブカルチャーにも強く関心を持ち、著作には『テレビゲームと癒し』(岩波書店 1996)も。北海道新聞(香山リカのひとつ言わせて)、中日新聞(香山リカのハート・ナビ)、中日スポーツ(コラムの時間)、毎日新聞・東京(ココロの万華鏡)、毎日新聞・大阪(述・私の確言)、山陽新聞(日曜ワイド)、創(「こころの時代」解体新書)、Educo(いまどきコドモ事情)、オーディション(スターのココロ)、SFマガジン(SENCE OF REALITY)、Magazine ALC(香山リカの通信講座の心理学)、Domani(駆け込みクリニック)、月刊日本語(ブックレビュー)、アイユ(答えはでなくても)等、多数の連載を持つ。

第1回精神科医として働きはじめてからもずっと、ゲームに癒されてきた

2009年2月9日掲載

悪い意味で境目がなくなるなら、良い意味での境目もなくなればいい

――香山先生ご自身のゲームとの付き合いは、いつはじまったんですか?

香山:私のゲームとの関わりについては、個人的な経験がスタートラインだったんです。というのは私自身、学生時代からゲームが非常に好きだったんですよね。当時はまだファミコンのない時代でしたから、ゲームセンターでやっていましたね。それから医師になったころにファミコンが登場して、以後は家でやるようになりました。精神科医としての体験とは全然別で、仕事のストレスや疲れをゲームで癒していたような感じでしたね。純粋に楽しんだり、ときには慰められたり、良い思い出が強くあります。つまり、すごく個人的なレベルだったんですよ。

――以後、その関係性がどう変化していったのでしょうか?

香山:臨床の場を通じて変わっていったんですね。精神科医ですから、いろんな問題を持ったお子さんや若い患者さんをたくさん診てきたんです。そういうお子さんたちと接するときは趣味や生活の様子などを聞きながら、話のとっかかりになりそうなことを探していくんですけども、若い方の場合にはとっかかりとしてゲームが役に立つというケースが多かったんです。しかも、今で言う引きこもりや不登校や拒食症など、いろんな問題を抱えた人の中にゲーム好きな子が結構いたんですね。

そんな中、非常に印象的だなと思うことがあったんです。たとえば親とか医師の目から見れば、「症状がとても重くて何もできない、非常に生活能力も低くて精神的にも非常に困難な状況にある」いわゆる「重症」と判定されるような人がいますよね。でもそういう子が、ゲームだけはすごく上手だったりするという、矛盾しているケースがあったんですよ。

――意外なところに才能が隠れていたということでしょうか?

香山:そうです。しかも彼らはそのことを、誰にも評価されたことがない。あるいは、否定的に評価されているんです。世間では「ゲームばっかりしているから、学校に行けなくなって引きこもるんだ」っていう考えが圧倒的ですから、「ゲームが症状の引き金になった」という解釈をされてきているわけです。彼ら自身も引け目を感じていますから、「ゲームが得意だ」っていうことを隠していたりするんですね。

――当事者にとっては、確かに口に出しにくいことなのかもしれませんね。

香山:それに「ゲームばっかりしているから学校に行けない」ということではなく、よくよく話を聞いてみると、不登校や引きこもりについては「別なところ」に理由があってね。だからこそ、そんな生活の中で、「ゲームが彼らにとって本当に唯一の救いや支えになっていたりする」ケースもあるんです。

彼らのゲームの才能に気付かなかったとしたら、その子たちは「能力が低い」としか見られないわけですよ。でも私のようなゲーム好きにとっては、「この子はすごい才能があるんじゃないか」と思えてね。日常の生活も自分ではうまくできないような、今で言う「発達障害」のような子ども、あるいは落ち着きがなくて一ヶ所に留まっていられないような子どもが、ゲームだと何時間も集中できたりするんです。しかもロールプレイングとかダンジョン物も、ものすごい速さで解くわけですね。たぶん、私達とはまったく違う認知機能を使って、一瞬にして解いているんですよ。

将棋の得意な人が、何手も先まで読んでいたりしますよね。それと同じような脳のメカニズムだと思うんですけども、私たちとは違って、パッと見ただけでわかっちゃう。あるいは知的障害があってほとんど字も読めない子が、推理ゲームみたいなもののテキストも読めないのに解いちゃったり。そういうことがあるんです。

――驚くべき能力ですね。

香山:そういう場面を見て「どうもゲームには、私たちが考えるような精神的あるいは知的な機能とは別の回路を開かせる力もあるんじゃないかな」と思ったんです。それは本当にすごいことだと思ったので「すごいね」って褒めたんですけど、彼らにとってそれは「初めて人に肯定的に評価された」っていう経験なんですよね。だから褒められて以降、他のことにも自信が持てるようになっていって調子がよくなっていくというケースもありました。

...というように私自身、ゲームをきっかけとして発見がすごくあったんですね。でも「ダンジョンが一瞬で解けるっていうのはすごいことなんですよ」といくら言っても、ゲームをやっていない人間にはピンと来ないんです。だから当時はその子たちの親御さんにも「お母さん、一度やってみたら良いですよ。やってみたら、お宅のお子さんがいかにすごいかがわかるかもしれません」って話して、実際にやってもらったりしました。親御さんにも体験してもらうことで、「こんなことができるなんてすごい!」って我が子を見直した親御さんもいましたね。研究というよりも単純に、「ゲームが手がかりになって話ができた」実例。そういう良い体験に携わったわけです。

――実際にやってみればわかることもありますからね。

香山:しかしゲームが急激に子どもたちに浸透していく中、90年代初頭ぐらいまで世間的にはまだ「否定論」の方が圧倒的だったんです。「ゲームの良さ」とか「新たな可能性」を認めるよりも、「ゲームによって犯罪が助長された」とか、「ゲームのまねをして凶器を持って襲った」とか、そういう考え方ばかりだったんですよね。私が臨床の場で色々なことを発見している時に、社会では「ゲームって恐ろしい物だ」とか「子供達にとって悪い物だ」っていうような全く正反対の考え方が非常に強まって行ったのです。

でも、もしゲームがなかったら、ゲームに秀でた子たちの能力って永遠に気付かれなくて、「学校に行けない子」とか「勉強のできない子」っていうままで終わっていたかもしれないですよね。というか、もし気付かれたとしても、残念ながら今の社会ではそれが直接職業に活かされるようなシステムはありませんし。だから結局、ゲームが得意な子はゲームが得意なままで終わっちゃう。なかなかその先が厳しかったんです。

――その頃、どんなことを感じていましたか?

香山:「ゲームをやりすぎると現実と虚構が混同される」とか言いますよね。でも、悪い意味で境目が無くなるなら良い意味での境目も無くなってくれれば良いなといつも思っていました。ゲームの中でなら仕事ができたりとか、色々なことを可能にできるんだったら、現実の社会でも生産的なことをやったり女の子に話しかけたりすれば良いのに、って。でも、そっちはできないんですよね。それで結果的には「人を殺しても良いと思う」とか犯罪面だけがクローズアップされちゃうんですけれど、「そんなことはあり得ない」と思うんですよね。

――1996年に出版されたゲームについての著作『テレビゲームと癒し』をお出しになったのも、そんな思いを伝えたかったからですか?

香山:立証的にきちんと研究してるわけじゃないんですけども、でも、「何か言っておきたいな」っていう気持ちがあったんです。ちょうどその時に岩波書店が「今の子どもを切り取る」みたいな子どもに関するシリーズを出そうとしていて、私にも「何か一冊」っていうお話があったんですよ。それで「ゲームのことを書きたい」って言ったのです。その時の担当編集者はたまたま全くゲームのことを知らない方だったんですね。知らないから逆に「悪いものだ」という先入観もなく、発行することができたのです。