ゲーム産業の系譜
MSX誕生30周年~生みの親が語る開発秘話
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株式会社アスキー 創業者/元代表取締役社長
西 和彦 - Kazuhiko Nishi
1956年、兵庫県神戸市生まれ。現在、須磨学園 学園長、尚美学園大学 大学院 芸術情報研究科 教授、埼玉大学 大学院 経済科学研究科 客員教授、早稲田大学 大学院 国際情報通信研究科 客員教授、デジタルドメイン 代表取締役社長、アカシックライブラリー 代表取締役社長。
第1回MSX誕生前夜
2024年09月02日掲載
日本のパソコンの原点は、NECのTK-80キットだと思います。現在のパソコンと違って筐体がなく、むき出しの基板です。7セグメントディスプレイが8つ並んでいて、16進の入力キーが搭載されていました。
これがヒットしたのは1977年頃でした。私はすでにアスキーを創業しており、マシン語しか使えないTK-80にBASICインタープリターを載せようとしていました。この頃アメリカには「Tiny BASIC(タイニーベーシック)」というプログラムがありましたが、整数しか使えず力不足だったので、マイクロソフトの「BASIC」を搭載しようと考えました。
マイクロソフトとの関係はこのときに始まります。渡米した私は、マイクロソフトに特注のBASICの製作を依頼し、自分が日本のパソコンメーカーに売り込むと言って交渉しました。そして、のちに「アスキー・マイクロソフト」というマイクロソフトの極東方面代理店を設立し、日本だけでなく、中国、韓国、台湾、香港、そしてインドなど、あらゆるアジアの国に行くことになりました。
こうしてマイクロソフトのBASICを得て試行錯誤しているうちに、TK-80の機能を拡張するのではなく、まったく新しいものを作ろうということになりました。そして、当時最新のCPUであるZ80を搭載したPC-8000シリーズが誕生したのです。これは1979年に発売し、大ヒットしました。フルキーボードがついていて、シリアルインターフェイスもあり、ターミナルにもなり、インタープリターも搭載しています。のちにはディスクドライブも発売されました。雑誌にもPC-8000用のプログラムの記事がよく掲載されていました。
その後、パソコンの値段を下げればパソコンが一家に1台売れるのではないかと思い、安価なパソコンの開発を進めていました。その結果、NECの関連会社である新日本電気(のちのNECホームエレクトロニクス)から、テレビをディスプレイとして使用できるPC-6000シリーズとPC-6600シリーズが発売されたのです。
これらはパソコンとしてではなく、ゲーム機として売ろうとする動きがあり、アスキーも含めたソフトメーカーからPC-6000用のゲームソフトが多数発売されました。しかし、PC-6000シリーズは画面に表示される色数が制限されていたこともあり、ゲームをプレイするのに十分な表示能力があるとはいえませんでした。そこで、ゲームの表示ができる能力を備えた本格的なハードウェアを作ろうとしたのです。
当時、香港にスペクトラビデオという会社があり、PC-6000をモデルにしたパソコンを開発していました。そこからアスキーにゲームソフトやBASICの開発の依頼がありました。その製作のために意見を出し合ううちに、さまざまなアイディアが生まれ、それがMSXの原形になりました。こうして、BASICでプログラミングができて、ロムカートリッジを挿入すればゲームがすぐにスタートし、ロムカートリッジの形をしたI/Oスロットもあるという、MSXのデザインが決まったのです。