Genalagy of the Game Industry

ゲーム産業の系譜

1970年代

業界ライターからみたアミューズメント産業の40年

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元「月刊アミューズメント産業」 編集長

中藤 保則 - Yasunori Nakafuji

1943年北海道生まれ。東京芸術大学美術学部芸術学科卒。余暇と健康問題に興味をもち、研究・執筆活動を続ける。月刊「アミューズメント産業」編集長、TKK健康科学研究所所長、有限会社プロジェクトA専務取締役などを歴任し、余暇健康学研究所を主宰。日本体育大学、フェリス女学院大学、実践女子短期大学等で講師を務め、信州短期大学では教授、学科長、副学長を務める。

第3回「スペースインベーダー」の大爆発、そして「レジャー革命」へ

2024年09月02日掲載

1972年(昭和47年)、ゲーム画面をビデオモニターに表示する「ビデオゲーム」が登場しました。そして1976年(昭和51年)、「ブレイクアウト」つまり「ブロックくずし」が登場したのです。しかし、当初この「ブロックくずし」はあまり売れませんでした。テーブルゲームになっていたのですが、アメリカサイズだったからです。そこで翌年、サイズを日本の喫茶店のテーブルサイズに小型化したのです。これが当たりました。
その頃、喫茶店は業態として斜陽の時期でした。そこで「このテーブルゲームを置いていただければ利益の何割かは還元します」という商法で売り込みをかけたところ、喫茶店は従来のテーブルを撤去してゲーム機をこぞって置きだしたのです。

そして、1978年(昭和53年)に「スペースインベーダー」が登場したのです。1月に株式会社タイトーの新商品発表会に参加した人たちの感想は、「これは売れないんじゃないか」という意見が大半でした。難しいという印象を受けたのかもしれません。さらに新製品発表会などに参加するのは業者の方が多く、新しい製品に関して比較的保守的で、すぐには飛びつかないということもあったかもしれません。
ところが、この「スペースインベーダー」が夏頃からブレイクしました。たちまち空前絶後のブームとなったのです。町には「インベーダーハウス」なるものまで登場したのです。1979年には1日で全国26億円を売り上げたといいます。1979年といえば第二次オイルショックの時であり、そうした経済状況の中でそれだけ売上をあげたというのは驚異的というしかありません。確かこの年のタイトーの売上高は、本田技研工業株式会社のそれに匹敵するほどでした。日本企業の売上高トップ10に入ったのです。

「スペースインベーダー」のブームはあっという間に終息を迎えます。しかし、その後「パックマン」や「ギャラクシアン」などの人気作が次々と登場し、「スペースインベーダー」ほどの急激なブームをおこしませんでしたが、確実にファンをつかんでいきました。

こうして着実に成長していったゲームセンターでしたが、1985年(昭和60年)2月に「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律」(「風営法」)が施行され、ゲームセンターも規制対象となりました。風俗営業の許可が必要となり、翌年には26,573軒のゲームセンターが許可を受けています。あれだけ急拡大で成長を遂げてきたのですから、警察庁もなんらかの規制が必要だと思ったのではないでしょうか。確かに商業ビルの一角にゲームセンターができたり、ショッピングセンターや映画館にできたり、さまざまなところにゲームセンターができたわけですから、そうした規制も必要だったでしょう。
ただ、当時、風営法にすべての関係者が反対したのかというとそうでもなかったようです。むしろ、アウトサイダーな業者などを締め出せるので、健全な業界の発展のためには必要だという意見もありました。

1983年(昭和58年)に任天堂株式会社から家庭用ゲーム機「ファミリーコンピュータ」(「ファミコン」)が発売されました。この1983年はアミューズメント産業にとっても重要な年で、私はこの年を「レジャー革命の年」と呼んでいます。なぜなら、東京ディズニーランドや長崎オランダ村、北海道のアルファリゾートトマムなどの大型レジャー施設がオープンしたのがこの年だったからです。
総理府が毎年「国民生活に関する世論調査」の中で、国民が生活の力点を何におくかについて発表しているのですが、この年にはじめて「レジャー・余暇生活」とする国民が最も多くなりました。生活力点の中心が「住生活」から「レジャー・余暇生活」へと転換したのです。また、レンタルビデオ店もこの年に誕生しています。

そして、ちょうどこの頃から、ゲームセンターもいよいよ巨大化・メジャー化していきます。明るく清潔感があるのはもちろんのこと、誰もが安心して簡単に楽しめるレジャー施設としてすっかり定着しました。こうしてアミューズメント産業の現在の繁栄につながってきたのだと思います。
私の駆け出し当時と比較するとまさに隔世の感があります。今、あらためてこうして振り返ってみて、この業界も成熟したなあと実感しています。

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