Genalagy of the Game Industry

ゲーム産業の系譜

1970-2000年代

伝説の「THE LINKS」― 世界初のネットワークゲームに賭けた夢

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日本テレネット株式会社 代表取締役会長

瀧 栄治郎 - Eijiro Taki

1942年、京都生まれ。1966年、同志社大学経済学部卒業、株式会社太洋堂入社。印刷業経営の一環として、1975年に同社企画部門を分社化して株式会社デコスを、1978年にビデオ制作会社の株式会社ヴィオスを設立。1985年11月には日本テレネット株式会社を設立、代表取締役社長に就任し、MSXによる画像パソコン通信の開発運営などコンピュータネットワークサービス事業に進出する。その後もFaxネットワークサービス、アウトソーシング、コンテンツ制作など幅広く事業を展開する一方、2000年にスローネット株式会社(シニア向け情報交流サイト運営)および株式会社ビットマザー(携帯Webコンテンツ制作・運用/松下通信工業株式会社(現パナソニック モバイルコミュニケーションズ株式会社)との共同出資)、2010年にエコリンクス株式会社(太陽光発電設計士教育)、2015年にイメージナビ株式会社(デジタル素材販売・Web制作・開発)を設立し、さらなる事業の多角化を積極的に進めている。2015年、地元・古川町商店街の活性化事業への貢献により、株式会社デコス代表取締役社長として京都府産業功労者賞を受賞。

第3回早すぎた夢...画期的なネットワークサービスが花開く

2024年09月02日掲載

1986(昭和61)年3月にMSX向け画像パソコン通信としてサービスを開始した「THE LINKS」でしたが、開発費用が膨らむ一方、ユーザーの利用負担額が大きいため会員数が思ったようには増えず、経営的には苦戦を強いられていました。しかし、当社がTHE LINKSから世界初のネットワークゲームを世に出せたことは、胸を張って誇れる実績だと自負しています。それだけでなく、ゲーム以外にそのころ当社が手がけていたいくつかのネットワークサービスは、いま振り返ってみても、きわめて画期的なものだったと思うのです。

たとえば、THE LINKSでは、1986(昭和61)年のサービス開始当初から、デジタルグリーティングカードの送信サービスを提供していました。MSXのグラフィック機能を利用することによって、文字だけでなくグラフィカルなメッセージのやりとりを実現しました。また、ユーザーがMSXで自作したコンピュータグラフィックスをTHE LINKSに投稿してもらう「MSXクリエーター」というコーナーもありました。現在の「LINE」のような、ヴィジュアル豊かでエモーショナルなコミュニケーションサービスを、今から30年以上前に私たちは既に目指していたのです。

また、1988(昭和63)年には、THE LINKSに「A1タウン」というコーナーを開設しました。これは、松下電器産業のMSX2マシン「FS-A1」シリーズ向けに開発したもので、提供メニューを仮想の街に見立てて構成したバーチャルタウンのサービスです。たとえば、ロボットアクションゲーム「ガーリーブロック」は工場、戦略アクションゲーム「ダイレス」は研究所、レーシングゲーム「A1グランプリ」はサーキットというように、画面上に描画された街のなかにゲームごとの拠点があります。会員はそれぞれの拠点からゲームを始め、また、そこに設置されたBBS(掲示板)で会員同士が語り合ったりできました。ほかにも、街にはゲームのダウンロード販売を行うゲームショップがあったり、オンラインチャットを楽しむ喫茶店があったり、まさに街さながらに盛り上がっていたのです。

このようなバーチャルタウンに複数ユーザーが参加できるネットワークサービスとしては、米国には、1986年に始まっていた「Habitat(ハビタット)」というチャットサービスが既にありました。しかし、我が国においては、富士通株式会社がそのHabitatのライセンスを取得し、FM TOWNS向けに「富士通Habitat」としてサービスを開始したのが1990(平成2)年でしたから、私たちの「A1タウン」のほうが早かったわけです。この「A1タウン」のプロモーションのために、概要をわかりやすく紹介する小冊子をつくって、MSX専門誌「MSX・FAN」(徳間書店インターメディア株式会社)の特別付録にしてもらったりもしましたね。

さらに、THE LINKSメニュー以外でも、ここから派生して、独立したネットサービスも生まれています。THE LINKSに証券情報を提供していただいていた大和証券株式会社と共同で、互いにゲートウェイシステムを構築し、1987(昭和62)年に金融・株式情報に関するホームトレーディング「FAINS(ファインズ)」というサービスを始めました。これも、任天堂株式会社が野村證券株式会社と共同開発した「ファミコントレード」より前のことです。

また、1988(昭和63)年には、松下電器産業の協力を得て、家庭向けのホームVAN(注1)「SILKネット」の実用実験サービスを始めました。そこでは、ブックショップや、産直品、フラワーギフトなどの通信販売のサービスを行っています。「Amazon.com」の創業が1994年ですから、それよりもずっと前にブックショップのECサイトを始めていたことになります。このSILKネットこそがAmazonの原型だというのは言いすぎでしょうか(笑)。なお、SILKネットはその後、サービス自体は松下電器産業へ移管されましたが、システムは当社に残り、次期パソコン通信事業の基幹システムとして引き継ぐことにしました。そして1992(平成4)年、汎用の通信モデムで接続を行う若手ビジネスマン向けの一般商用パソコン通信「Super Links」としてサービスを開始しました。

学生をネットワーク上で組織化するという構想もありました。まず1989(平成元)年に「夏休み宿題お助けネット」というものをつくり、ネットワークを介して小中学生が夏休みの宿題でわからないところを質問し、それに対して京大生が答えるという実験を行いました。そして、翌1990(平成2)年には、大学の1,000サークルを組織化し、大学生ネットワーク「CAN(キャン)」を立ち上げました。サークル間の交流もそうですが、企業10社を組織化してCANとネットワークを繋ぎ、企業の採用活動および学生の就職活動に活用してもらおうと考えたのです。まさに現在の就職サイト・株式会社リクルートホールディングスの「リクナビ」の先駆けといえます。

もっとも、これらのサービスは残念ながらいずれも収益が振るわず、数年でサービスを終了しています。理由はいろいろあるでしょうが、たとえば「CAN」については、学生側にコンピュータを使いこなすリテラシーがなかったこともあるでしょう。当時は一般の学生がパソコンを保有することは稀で、学校でのコンピュータ教育もほとんどなされていなかったのです。コンピュータの性能や通信環境も今と比べるとずっと貧弱でしたし、概して私たちの試みは早すぎたというべきものでした。

THE LINKSの方は、専用カートリッジモデムを無料で配布したり、全国でゲーム大会や店頭デモを開催して回るなど、会員獲得のために懸命にプロモーションを続けていました。やがて、それらが功を奏したか、会員数はじわじわと増えていき、1991(平成3)年の末には12,000人に達しました。

しかし、思えば、その頃がTHE LINKSのピークだったのでしょう。ファミコンやスーパーファミコンなど家庭用ゲーム機の普及が進み、他方、Microsoft社がグラフィカルなインターフェイスを持つ新しいOS「Windows3.1」を発表するなど、ゲーム機として、あるいはパソコンとしてのMSXの競合機種が急速に進展していたのです。

1990(平成2)年、MSXの新規格として16ビットCPU搭載の「MSXturboR」が発表されましたが、参入したメーカーは松下電器産業1社のみにとどまりました。MSX向けの市販ソフトはメーカー製のものがほとんど発売されなくなり、新作は同人ソフトだけという状況になりました。MSX専門誌についても、1992(平成4)年に株式会社アスキーの有力誌「MSXマガジン」が休刊となり、残るは「MSX・FAN」1誌のみとなってしまいました。

こうした中で、THE LINKSも会員数がどんどん減っていきました。当社の大株主である松下電器産業は、THE LINKSはもはや収益を見込めないとして、存続を見直すよう強く迫るようになってきました。その松下電器産業が1994(平成6)年に「FS-A1GT」の生産をついに終了し(翌1995(平成7)年には出荷もすべて終了)、これが最後のMSX機となりました。松下電器産業からの支援も受けられなくなり、THE LINKSはとうとう閉鎖を余儀なくされることになったのです。

かといって、それでもTHE LINKSにはまだ5,000名ほどの会員が残っています。いずれもコアなMSXユーザーであり、最も熱烈にTHE LINKSを愛してくれた会員です。そんな会員の方々を見放すことはできません。そこで、先ほど申し上げた新しい一般商用パソコン通信「Super Links」に今までのTHE LINKSのコンテンツ・コミュニティを移行・吸収させました。その上で、会員全員に通信モデムを無料で配布し、新サービスの方に移ってもらうようにしました。こうして1994(平成6)年10月、私たちがネットワークの夢を掲げた「THE LINKS」は、およそ8年半で幕を閉じたのでした。

日本テレネット社年表(1985年~2015年)
日本テレネット社年表(1985年~2015年)【PDFファイル[1.5MB]】

THE LINKSの赤字が累積していますので、これを解消しないといけません。それ以前から松下電器産業は、当社を赤字経営から脱却させるべく、今まで手がけていた消費者向けビジネス(BtoC)から、企業向けビジネス(BtoB)への転換を当社に促していました。そこで当社でも、松下電器産業の系列電器店にパソコンを導入してネットワークで繋ぎ、全国の系列電器店向けに情報配信を行う「リビングPana Press計画」を進めていました。1991(平成3)年のことです。ところが、当時の系列電器店店主は、じつはコンピュータリテラシーがあまりないんです(苦笑)。ですから、系列電器店向けにはパソコンではなく、シンプルな操作で扱えるFAX機を活用しようと考えました。こうして、1991(平成4)年、松下電器産業向けに「リビングFAXネット」を開発、運用を受託することになり、次のような仕組みを考えました。

まず、全国各地にある松下電器産業の地域販売会社を拠点として、それぞれに複数のパソコンを使ったLAN(注2)を構築します(「拠点PCLAN」と呼んでいました)。当社内にも同じく複数のパソコンでLANを構築してFAX受信用パソコンを置き、アナログ電話回線によって松下電器産業本社からのFAX原稿を受信します。当社内LANでFAX原稿はデジタル化され、事前に登録してある全国系列電器店の送信先データとともに、複数の送信用パソコンからISDN(注3)回線を使って、送信先最寄りの各拠点PCLANに一斉に送信されます。そしてそれぞれの拠点では、送信先データに基づき、複数の送信用パソコンから各系列電器店のFAX機に宛てて、アナログ電話回線で原稿を順次送信していくというものです。

この仕組みのポイントは、当社内LANから各拠点への遠距離通信はISDNによってデジタルデータでまとめて送信し、拠点PCLANから各系列電器店への送信はなるべく近距離通信で済ませるようにしたことです。当時の電話料金は、遠距離と近距離の料金差がとても大きかったため、できるだけ市内料金(3分10円)で済ませられる近距離通信を使うことがコスト削減のポイントでした。拠点PCLANを全国92箇所に設けることにより、市内料金で済ませられる率を極力増やし、電話料金を大幅に抑えることができました。

また、当社内LANおよび各拠点LANのFAX送受信サーバは、大型のホストコンピュータではなく、複数のパソコンでLANを構築することによって実現させました。これにより開発コストは、通常のFAXサーバを使う場合のおそらく三分の一くらいで済んだと思います。この場合、1,000台のパソコンを揃える必要がありましたが、セイコーエプソン株式会社の安価なPC/AT互換機(注4)を使うことにしました。このように初期費用の削減に工夫を凝らした結果、低価格でサービスを提供することができたのです。

そして、パソコンをFAX送受信サーバとして構築するために有効だったのは、ネットワークOSとして導入した米国Novell社製の「NetWare」でした。じつはこのNovell社のネットワークOSを紹介してくれたのは、当時、シャープ株式会社の顧問だった佐々木正さんでした(残念なことに2018(平成30)年1月に亡くなられました。謹んでお悔やみ申し上げます)。ソフトバンクの孫正義さんの大恩人として知られる方ですが、その孫さんがちょうどその頃、NetWareに着目し、米国Novell社と提携したばかりだったのです。孫さんからそのことを聞いていた佐々木さんが、私たちにネットワークOSの導入を薦めてくださったのです。

こうして、リビングFAXネットが無事成功しましたので、そのノウハウを汎用化し、FAXネットワークサービス「L-net」として他の企業にも売り出すことにしました。おかげさまで好評を得て、「L-net」は現在でも当社の主力サービスとなっています。こうしてBtoBビジネスを始めて4年、THE LINKSの終了とほぼ時を同じくしてようやく赤字を解消し、ついに1995(平成7)年には初めての配当ができるまでになりました。

注1:VAN
Value Added Network(付加価値通信網)の略。高度な機能を施し、より付加価値の高いサービスを提供するコンピュータネットワーク。
注2:LAN
Local Area Network(ローカル・エリア・ネットワーク)の略。一施設内程度の限られた規模の範囲で用いられるコンピュータネットワーク。
注3:ISDN
Integrated Services Digital Network(サービス総合ディジタル網)の略。電話、データ通信、ファクシミリなどの通信サービスをすべてデジタル化し、統合的に提供できるようにした電話サービス網。
注4:PC/AT互換機
米国IBM社のパソコン「IBM PC/AT」と互換性を持つパソコンの総称。「IBM PC互換機」「DOS/V機」とも呼ばれる。

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