研究者インタビュー
テレビゲームへの正しい理解を
藤川 大祐助教授インタビュー
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千葉大学教育学部助教授/NPO法人企業教育研究会理事長
藤川 大祐(ふじかわ だいすけ)
1965年生まれ。千葉大学教育学部助教授(教育方法学・授業実践開発)。東京大学大学院博士課程、金城学院大学助教授を経て、2001年4月より現職。メディアリテラシー、ディベート・討論、数学、環境、キャリア教育等、さまざまな分野で授業づくりの研究に取り組む。NPO法人企業教育研究会理事長。『企業とつくる授業』(教育同人社)、『メディアリテラシー教育の実践事例集』(学事出版)など著書多数。
『企業とつくるキャリア教育』
藤川 大祐・編、NPO法人企業教育研究会・著/教育同人社刊
小学校から始める新しいキャリア教育の進め方を解説し、企業による実践事例も収録。テレビゲームに関する授業も紹介されている。
第1回テレビゲームはインタラクティブメディア
2006年11月28日掲載
メディアリテラシーって?
- ――藤川助教授は、テレビゲームをテレビや映画などと同様にメディアとしてとらえ、メディアリテラシー教育を実践していらっしゃいますが、そもそも、メディアリテラシーとは何なのでしょうか。
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藤川:「リテラシー」とは「読み書き能力」のこと。ですから、メディアリテラシーとは、メディアについての読む能力、書く能力です。これは、テレビや映画で発展してきたものですが、例えば、テレビで考えてみましょう。テレビ番組は、通常いくつかのカットで映像が構成されていますよね。カットとカットの間は切れているのに、私たちはそこに連続性があると認識できます。これは、知らず知らずのうちに、テレビを読む能力を身につけているからです。
- ――では、メディアにおける書く能力とは、どういったことを指すのでしょうか。
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藤川:書く能力というのは、メディアを使って発信する能力です。ある事をテレビで発信しようとしたとき、ビデオカメラをただ回しただけの映像では、人々には伝わらない。どういうアングルで撮るとか、どういう構成にするとか、そういう書く能力がないとダメです。基本的には、こうしたメディアを受け取る能力、発信する能力のことをメディアリテラシーといいます。
- ――メディアリテラシーが注目されるようになったきっかけは、何だったのでしょうか。
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藤川:メディアリテラシーはカナダで大きく発展しました。カナダはアメリカの隣にあり、アメリカのテレビ番組がたくさん見られる状況にあります。そして、その番組およびCMには、アメリカの文化といえる、大量生産・大量消費を美徳とするメッセージが込められていたのです。簡単に言うと、「たくさんものを買うのがいいこと」というメッセージです。
大量生産・大量消費の文化は、カナダの文化とは合いませんでした。そこで、テレビ番組をよく吟味して受け取る能力がないといけないという議論になったのです。
テレビゲームがメディアって?
- ――ということは、テレビゲームにおけるメディアリテラシーが研究され始めたのも、影響力が大きくなってきたからなのでしょうか。
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藤川:メディア論の権威であるマーシャル・マクルーハン(注1)は「メディアはメッセージである」といっています。テレビゲームにおいても、インベーダーゲームをメディアとしては考えづらいですが、RPGなどのストーリーがしっかりとあり、独特の世界観を持つテレビゲームが人気を集めたあたりから、そのメッセージが注目されるようになりました。
そして、ゲーム機の性能が向上することで表現力が増し、よりテレビゲームが強いメッセージを持つことが可能となると、テレビゲーム内の世界と、現実の世界の間のギャップを、どうとらえるかということが議論されるようになったのです。しかも、テレビゲームは自分で選んだ結果が反映されるインタラクティブなメディアですから、メディアとして面白い反面、影響力もインタラクティブでないメディアより強いと考えられます。
主に心配されているのは、暴力とジェンダーの問題です。まず暴力の面からいうと、日常的に暴力を振るう人は非常に少ないですが、テレビゲームではゲームという特性上、戦いなどで、暴力を振るうシーンが出てくることは珍しくありません。
また、ジェンダーの面からいうと、例えば美少女キャラクターのような、現実の女性とは大きなギャップがあるキャラクターが登場しますから、ジェンダーに対して偏った見方をしてしまうのではと、心配な方もいるでしょう。
- ――だからこそ、子どもにもメディアリテラシー教育は必要ということなのでしょうか。
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藤川:こうした議論はどんどんしていくべきですが、まず理解していただきたいのは、テレビゲームを楽しんでいる子どもたちというのは、基本的にリテラシーが高いのです。例えば「今度の作品は今までと作風が違う」とか、熟練した、目の肥えた見方でテレビゲームを語る子どもは多いですし、これはテレビゲームを吟味して受け取っているからできることです。
ですから、子どもがテレビゲーム内の価値観をそのまま現実に持ち出すということは、非常に稀なケースを除き、あり得ないと考えていいと思います。
私が一番心配しているのは、テレビゲームをひたすらやっても、作り手側、つまり、テレビゲームというインタラクティブメディアを書く能力は直接的には身に付かないという事実に、ほとんどの子どもが気付いていないことです。そこにちゃんと気づいて欲しいですね。
実際の授業内容は?
- ――実際、藤川助教授がやられている授業とは、どのようなものなのでしょうか。
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藤川:詳しくは、このサイトでダウンロード可能な「ゲームのちょっといいおはなし・2」
(http://research.cesa.or.jp/handbook/index.html)に掲載のレポートを読んでいただければと思いますが、これまでにやった授業は、テレビゲームに夢中になってしまう理由を分析するというものです。テレビゲームをついやりすぎてしまうのは、夢中にさせる仕掛けがあるからです。その仕掛けを冷静に考えることで、テレビゲームについての理解も深まり、ゲームとの付き合い方も見直せるだろうという狙いがありました。
ゲームクリエイターのインタビューもビデオで流しましたが、映像の中で、テレビゲームをもっと楽しむためにはテレビゲーム以外のこともやる必要があり、テレビゲームの作り手になりたいのなら、より一層テレビゲーム以外の経験が必要だということをおっしゃっていました。
担任の先生に話をうかがうと、ゲームが好きな子ほど、立ち止まって考えるようになったとのことでした。テレビゲームだけを長時間やっていても、テレビゲームに関係する仕事に就けるわけではないと気づいたのです。このように、メディアリテラシー教育とは、キャリア教育の側面も大きいといえます。
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(註釈)
(注1)
1911年生まれ。英文学者、文明批評家。カナダのマニトバ大学で機械工学と文学を学んだのち、ケンブリッジ大学トリニティー・カレッジに留学。46年、トロント大学の教授となる。著書に、『機械の花嫁』(竹内書店新社)、『メディア論』(みすず書房)など。