研究者インタビュー
テレビゲームへの正しい理解を
田中 栄一先生インタビュー
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国立病院機構八雲病院 作業療法士
田中 栄一(たなか えいいち)
1993年3月、弘前大学医療技術短期大学部作業療法学科卒業。1993年4月、北海道勤労者医療協会に入職。1998年4月、国立療養所八雲病院(現:国立病院機構八雲病院)に就職。現在に至る。作業療法士として、小児神経筋疾患に対して支援機器を用いた活動サポートを行っている。日本作業療法士協会福祉用具対策委員。日本リハビリテーション工学協会
第1回「僕はゲームに救われた」
2019年09月30日掲載
- ――北海道八雲町の国立病院機構八雲病院にやってまいりました。八雲町は北海道の南部にあります。JRで函館から約1時間、札幌からだと約2時間20分の所です。国立病院機構八雲病院の特色を、あらためてお教えいただけますでしょうか。
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田中:遠い所までようこそお越しくださいましたね。当院は、筋ジストロフィーや脊髄性筋萎縮症といった、小児期に発症する神経筋疾患の専門病院です。入院病床は、筋ジストロフィーが120床、重症心身障害児(者)が120床の合計240床です。
筋ジストロフィーというのは、筋肉が変性・壊死して、次第に筋萎縮と筋力低下が進行していく遺伝性筋疾患の総称です。遺伝子の変異によって、筋肉の形成に不可欠なタンパク質の機能異常が生じることが原因とされています。
一方、脊髄性筋萎縮症は、神経原性の筋萎縮症です。「運動ニューロン」と呼ばれる脊髄の運動神経細胞(脊髄前角細胞)の病変によって、筋肉が中枢神経からの信号を受信できなくなり、徐々に筋力が低下していくというものです。「Spinal Muscular Atrophy」の略で「SMA」とも呼ばれます。
筋ジストロフィーも脊髄性筋萎縮症も遺伝性・進行性の難病で、現時点で根本的な治療法はありません。いずれも症状としては、手足の筋力が次第に低下し、服の着替えや食事など、身の回りのことが徐々にできなくなっていきます。学齢期からの病気なので、学校生活や友人との遊びにも支障をきたし、周りから孤立してしまうことも少なくありません。
当院では、適切な呼吸管理・身体管理により、患者さん方が自分らしく生活していけるよう支援することを目指しています。養護学校も併設していますので、患者さんが病気療養をしながら学校教育を受けることもできます。
- ――田中先生は「作業療法士」ということですが、作業療法士さんは、具体的にはどのような仕事をなさっているのですか?
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田中:人は病気になったり怪我をしたりすると、移動や食事、入浴、着替えといった日常生活の動作が困難になることがありますよね。生まれながらに障害がある方については、そもそも日常生活全般への支援が広く必要なケースも少なくありません。作業療法(Occupational Therapy : OT)とは、こういった日常の生活動作をはじめ、家事・仕事・レクリエーションなど様々な作業活動の場面でその機能回復を図って、「まなぶ」「あそぶ」「はたらく」活動を獲得するためのリハビリテーションのことをいいます。
特に当院では、運動機能障害が重度な患者さんが多くいらっしゃいます。なので、私たち作業療法士は、様々な工学技術を用いて、患者さんの「できない」を「できる」に変える支援を行っています。たとえば、歩行が困難になったら、電動車椅子を使って自由に動き回れるよう指導したり、パソコンの操作が難しくなった場合は、原因を探ってツールの改良を試みたりしています。このように、作業療法士は、従来の生活様式の見直しや道具の工夫によって、患者さんの生活改善の手助けをしているんです。
ただ、当院の患者さんは進行性の病気ですから、機能障害は年齢が進むにつれてますます重度になっていきます。これまでできていたことが次々とできなくなる「連続性の喪失」が多くなって、日常のことの多くが介護者に頼らざるをえなくなります。これは精神的にも辛いことです。そこで、作業療法士は、身体的な支援だけでなく、精神的にも患者さんに寄り添ってサポートを行っています。心身両面からの支援をすることが私たち作業療法士の務めなんです。
- ――患者さんは若い方ばかりかと思っていましたが、実際に病院に伺ってみたら、大人の方も多いですね。
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田中:そうなんですよ。この病気は、1980年代あたりまでは20歳まで生存するのも難しいとされていたんです。しかし現在では、人工呼吸器の普及や心臓の新薬のおかげで、平均寿命も倍くらい伸びました。50歳を超える方も珍しくありません。ただ、そういう意味では、今度は学校を卒業した後の生き方...仕事はどうするのか、どうやって働くのか、あるいは上の学校に進学するのか...という別の問題が出てきます。障害を持ってる子は、進学ならまだやりようがあるんですけど、卒業後に働くとなると、さてどうしようかと途方に暮れることが多いんですよ。
来年、うちの養護学校を卒業する患者さんがいるんですけど、彼はウェブデザイナーになりたいそうです。でも、障害者が働いていくには実際にはいろんな壁があります。学生ではない立場になったときに、自分の役割をどう考えて、今後の人生をどう送っていくべきなのか、ひとつひとつ突き詰めて考えていく必要があると思うんです。「何のために働くの?」「それはなぜ?」「その仕事にはどんな能力が必要?」「得意なことは何?」「仕事に活かせそう?」...といった具合に、患者さんと一緒にあれこれ模索しているというのが現状ですね。
- ――患者さんたちは、普段、どのように過ごしていらっしゃるんですか?
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田中:病状にもよりますが、普通に朝起きて、学生さんは学校に行きます。大人の方は、自分のできる範囲ですけど、テレワークでお仕事をする方もいます。デジタルでイラストを描く仕事だったり、3Dプリンタを使ったモデリングの仕事だったり...。外部からの委託を受けて仕事をすることもあります。
治療やリハビリの時間、食事やお風呂の時間のほかは自由時間ですね。といっても当院の患者さんは、身体を大きく動かす運動は困難です。走ったり、跳んだり、ボールを投げたり蹴ったり、外でスポーツをしたりはできません。そんな彼らにとって、最も接しやすいのがゲームなんですよ。ゲームだったら、工夫次第で健康な子どもたちと同じように遊ぶことができますからね。
病棟には光ファイバー回線を導入していますので、Wi-Fiに繋げば、病室のベッドにいながら、別の病棟の子どうしがオンラインで一緒にゲームで遊ぶこともできます。もちろん、病院外の一般の方と対戦ゲームをプレイしたりすることもできます。
- ――患者さんたちがゲームで楽しんでくれてるというのは嬉しいですね。
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田中:そうですね。患者さんたちは、徐々に身体が動かなくなってしまうという現実を自分なりに受け容れて、だったら、いま自分のやりたいことを精一杯やろうと。じゃあ、それはいったいどうやったらもっと上手くできるのか...という感じで、前向きによく頑張っていると思います。
だからこそ彼らはよく言うんです。「僕はゲームに救われた」って。リアルな学校の体育の授業なんかだと、どんなに頑張っても身体が健康な子には敵わない。そもそも友達と競い合おうにも、その機会すらありませんよね。でも、ゲームの世界だったら、友達と同じ土俵で勝負することができる。競い合ってたとえ負けたとしても、ゲームだったら頑張れば勝てる可能性がある。どういう努力をすれば勝てるかもわかる。だから努力のし甲斐があるんだ。だから僕はゲームに救われたんだと。そうか、そういう視点があるんだと私はハッとしましたね。彼らと話してると、本当に学ぶことが多いです。
一般に筋ジストロフィーの患者さんというのは、身体的のみならず、社会的・精神期にも病院内にひきこもりがちです。でも、うちの患者さんたちは、ゲームやデジタル機器を利用することで、社会とのつながりを実感したり、自己達成の機会を得られたと言っています。私たちもそれを嬉しく思います。
彼らにとってゲームのある生活というのは、単に余暇時間という意味にとどまらないんですね。仲間と競い合ったり、協力し合ったりして、その成果を分かち合う。そういった仲間との貴重なコミュニケーションの時間となっているんです。